自然の変容を趣くまま、感じるままに。

日々是好日

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「長崎原爆の日」に思う - 人見庵 (?)

2018/08/09 (Thu) 22:21:19
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「長崎の鐘」
サトウハチロー作詞・古関裕而作曲

こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

召されて妻は 天国へ
別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

※「平和祈念像」は、“トリップアドバイザー提供”

Re: 「長崎原爆の日」に思う - 人見庵 (?)

2018/08/10 (Fri) 10:45:09
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歌謡曲「長崎の鐘」は、故永井隆(医学博士)の随筆「長崎の鐘」をモチーフに作詩・作曲され大ヒットし、翌年には松竹により映画化された。

「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。

昨日、追悼式典が行われ国連事務総長が初めて出席し、核不拡散・核廃絶のメッセージを伝えたが、被爆国の地頭は何の反応も示さなかった。

Re: 「長崎原爆の日」に思う - 人見庵 (?)  URL

2018/08/10 (Fri) 10:53:49
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故永井隆(医学博士)の随筆に「この子を残して」がある。

長崎の原爆で妻を失くし、自らも被爆した医学博士が、自分の体験を後世に残すため書き綴った。

一文を紹介すると、
うとうとしていたら、いつの間に遊びから帰ってきたのか、カヤノが冷たいほほを私のほほにくっつけ、しばらくしてから、
「ああ、……お父さんのにおい……」
と言った。
 この子を残して――この世をやがて私は去らねばならぬのか!
 母のにおいを忘れたゆえ、せめて父のにおいなりとも、と恋しがり、私の眠りを見定めてこっそり近寄るおさな心のいじらしさ。戦の火に母を奪われ、父の命はようやく取り止めたものの、それさえ間もなく失わねばならぬ運命をこの子は知っているのであろうか?

※全文を読みたい人は、件名の横にあるURLをクリックしご覧ください。

きみつアーカイブス - 人見庵 (?)  URL

2018/07/29 (Sun) 17:04:16
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新着情報
・清水渓流広場〈亀岩の洞窟・濃溝の滝〉アップしています。

アマチュアカメラマンで大混雑。ビックリ・ヒャックリ。何じゃらホイ。

地震雲? - 人見庵 (?)

2018/07/08 (Sun) 10:03:12
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昨夜20時23分頃、千葉県北東部を震源とする震度5弱の地震が発生。君津市は震度4だった。

この写真は、3日前に撮影した。地平線上部の雲に複数の縦・横に入った傷が見えた。

新御堂の謎解き - 人見庵 (?)

2018/06/26 (Tue) 06:44:14
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沈鐘伝説(鐘が淵)、最勝福寺の梵鐘(新御堂)。この2件に関して資料をもとに行方調査中、鐘が淵の沈鐘伝説に「新御堂」という名詞があった。

「新御堂」について小生の乏しい知識では、最勝福寺(新御堂)が連想される。従って、対象になるこの名詞は最勝福寺だと決め込んでいた。

ところが、小糸泉に「新御堂」が存在することがわかった。危うく誤った解釈をするところだった。慎重にも慎重に検証活動しなければならない。反省例の一つだ。

怒田の大日堂 - 人見庵 (?)

2018/06/21 (Thu) 10:01:09
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久留里の怒田地区には、18世紀初頭に造られたといわれる大日堂がある。

お堂は宝形造りと呼ばれる建築で、宝暦10年(1760)に旧亀山村滝原不動の建物を移築したもので、その当時の記録が屋上の覆鉢に刻銘されている。

怒田地区には、地名の起源となった「おろち」伝説があり、この大日堂も「おろち」を祀るために建てられたと言い伝えられている。

大日堂は、昭和50年8月4日 君津市の文化財に指定された。

Re: 怒田の大日堂 - 人見庵 (?)

2018/06/21 (Thu) 10:13:09
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堂の縁台に、伝説にまつわる木造の「おろち」像が置かれている。

傍らの看板「大蛇呑禍」には、

長さ:4.5米
胴周り:0.8米
重さ:80頓 樹種:さくら 
怒田の大日如来の大蛇の縁起を源に造之
昭和51年3月

とある。

Re: 怒田の大日堂 - 人見庵 (?)

2018/06/21 (Thu) 10:41:01
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内陣には、来迎柱(らいごうばしら)はなく、禅宗様の須弥壇(しゅみだん)と千鳥唐破風(からはふ)つきの厨子がある。

須弥壇の中央「大日如来座像」?

右側は「不動明王立像」と「毘沙門天立像」。

左側は「毘沙門天立像」と「僧形坐像」が安置されている。

歴史探訪(東粟倉 力石) - 人見庵 (?)

2018/05/29 (Tue) 19:19:03
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最近の調査で、東粟倉愛宕神社の力石の所在がわかった。この力石(50貫目)は鳥居に上がる石段横の左側の狛犬傍にある。

民話に書かれている「神社の前の広場とはどこか?社殿の前か、鳥居の前か?」。現場を訪ねて次のように推察した。

本文より、土俵の近くに50貫目の石。4、5間下の畑に転落。より推測すると鳥居が正解のようだ。この下には土俵らしき場所や畑がある。

また、現在は房スカが出来て道が整備されているが、昔はこの崖(4、5間)を上げるのに500m位、遠回りしなければならなかったのだろう。

未確認ではあるが、これが論理的にかなっているだろう。

Re: 歴史探訪(東粟倉 力石) - 人見庵 (?)

2018/05/29 (Tue) 19:54:09
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愛宕神社御神体の還御式について新たな発見があった。

資料によると、愛宕様が山火事の延焼で焼けたとき、白馬に乗った御神体は植畑村内屋敷地蔵堂に避難していた。愛宕神社も新しく改築され、御神体も元通り愛宕山に戻った。

毎年愛宕様の祭礼のときは、内屋敷地蔵堂より御神体の還御式があり、内屋敷の担当者が火入れ式を行って祭りを行う。となっているが、現在は、火入れ式に変わって「御弊」で行っているそうだ。

内屋敷地蔵堂の場所も【ゴミなしの日】が幸いした。ナビだけでは発見できなかっただろう。人と人との出会いに感謝である。今年の還御式は7月15日(日)とのこと。

やはり「犬も歩かないと棒に当たらない」のである。

万葉人 - 人見庵 (?)

2018/05/17 (Thu) 11:29:30
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資料探しをしていて珍しい万葉人に出会った。

帰省時、情報収集のため大宰府の都府楼見物に出かけたとき、途中、大宰府天満宮に立ち寄った。資料館をのぞくと「万葉 鈴木靖将展」の看板が目に入った。

入口受付には誰もいない。机の上に万葉人風の似顔絵と油彩画の作品数点、その横で作品(本)を販売している様子で、傍には絵筆と絵の具が置いてあった。

展示会最終日であったため、もう閉館と思い一通り眺めて出ようとしたら、一人男性が出て来た。『似顔絵、お願いすれば描いて頂けるのでしょうか』と尋ねると『いいですよ』。サ~ッと描いてくれた。確か本を1冊買ったから絵代はロハだったと思う。

今日、この万葉人の作品を見て作者のプロフィールを検索して驚いた。そして思い出した。『これから、万葉ワールドツアーに出掛けます』と言っていた事を。当時はあまり気にかけていなかったし、どのような人物か興味をもたなかった。

プロフィールは、私と出会った年度を最後に終わっている。今、改めて振り返って凄い人との一期一会があったのだと思い出を新たにしている。鑑定団に出すまでもないが、これは贋作ではなく間違いなく真筆。私のお宝である。

※原画は依頼者の名前が記入されているので、この部分は肖像権上削除。大きさは色紙サイズ。

大井戸 諏訪神社 - 人見庵 (?)

2018/05/11 (Fri) 18:21:26
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社伝によれば、暦応4年(1341)、上総国周准庄秋元郷小糸作領主源朝臣盛澄が創建したとされる。

写真の奥、山裾に見える鳥居が諏訪神社。

Re: 大井戸 諏訪神社 - 人見庵 (?)

2018/05/11 (Fri) 18:23:31
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神社伝来の懸仏は三面あり、大きさは21センチメートル前後の円盤で、市指定有形文化財。

※通常は、久留里城祉資料館にて保管されている。

Re: 大井戸 諏訪神社 - 人見庵 (?)

2018/05/11 (Fri) 19:08:53
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境内に面白い狛犬が鎮座している。

一匹は母親のお乳を飲むスタイル、もう一匹は背中であそんでいます。

戌年のとき、市内の狛犬写真収集に出掛けた時に出合いました。何とも微笑ましく珍しい作品です。

作者は、鋸山の「千五百羅漢」や「大仏」を造った「大野甚五郎英令」の弟、「大野吉五郎英序」です。

鹿野山神野寺 - 人見庵 (?)

2018/05/09 (Wed) 07:40:36
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神野寺山門(国重文)。

神野寺の多くの建物(仁王門・本堂・鐘楼など)が江戸時代のものとのことですが、この門だけが室町時代のもので国の重要文化財に指定されています。

この写真が欲しかったわけでありまして、拝観料500円払って入場し撮りたかったのですが、あいにく車の安全祈願中で場外から失礼しました。

これは言い訳。ゴメンナサイ!

三本松公園 - 人見庵 (?)

2018/04/23 (Mon) 06:59:43
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場所:大戸見。
 「三本松」の由来は、壬申の乱天武元年(672)に敗れた大友皇子が上総の国に逃れた時、「松は千年の年を保つものなり」として「小松三本植うべし」と命じたことから呼ばれるようになったと伝えられています。
 この三本松を含む松丘・亀山地区一帯は、延宝7年(1679)に久留里藩主土屋氏が領地を没収されると、前橋藩主酒井氏の領地となり、その後酒井氏転封により、寛延2年(1749)に、川越藩主松平氏の領地となりました。
 この上総分領を支配するため酒井氏以来、向郷に陣屋が置かれていましたが、文政10年(1627)に三本松に移され、以後明治維新まで、ここが分領支配の拠点となりました。明治22年(1889)には松丘村役場が置かれ行政の中心になり、その後、公園が完成したのは大正12年(1923)のことで、開園式には千葉県知事も参席し盛大に開催されました。
 公園の中心部には陣屋跡の大きな石碑があり、南面の高さ100m近い崖からの眺望は素晴らしく、のんびりと景色でも楽しみながらくつろいでみたいところです。  君津市

Re:大戸見の神楽 - 人見庵 (?)

2018/04/23 (Mon) 07:23:18
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千葉県指定無形民俗文化財
大戸見の神楽
伝承地 君津市大戸見 稲荷神社
 
 大戸見の神楽は、林治太夫(りんじたゆう)の流儀といわれ、二人立ちの獅子を中心に、笛・大太鼓・小太鼓・すり鉦で構成される。
 この神楽は、旧松丘地区の最も代表的なもので、楽が進むにつれて、人が段々成長していく過程を表現しているものだといわれている。神楽の舞は、一人で歩けない幼児期を表現する「前かがり」に始まり、踊り手が御弊を持って舞う「おんべの舞」、そして「鈴の舞」さらには少年期を表現するという「くるい」、最後に「おくり」を演じて終わる。また、囃子には、ばかばやし、さんぎり、あまだれ、きりんばやし、こばやしがある。現在では、八月の第一日曜日の稲荷神社の祭礼に、神楽殿で奉納している。
 平成二十三年三月 千葉県教育委員会
              君津市教育委員会  


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